梅雨入りしたというのに、まだまともに降られていません。
運がいいのか、悪いのか。
ええと。
徐々にラインナップが充実してきたKATO製の飯田線旧型国電ですが、
モデルのプロトタイプとなった実車はどのような線区を走ってきたのだろうと思いまして、
例によって、調べてみました。
1957(昭和31)年以降の、およそ20~25年間の移動が判ります。
およそ、横須賀線(東チタ、東フナ)あるいは京阪神緩行線(大タツ、大アカ)からの転入がが多いと思っていたのですが…。
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昭和32年当時、すでに飯田線用になっていた車輌も、少なからずいました。
クモハ61形やクハユニ56形は、四半世紀以上の長きにわたり、飯田線で走り続けています。
社型国電はともかく、ぶどう色単色で17m車と組んで走っていた時期があるはずです。
クハ47形では、お隣の身延線(静フシ、静ヌマ)との転出入があります。
同じ静岡鉄道管理局内の電化ローカル線ですから、車両需給の都合で移動があったものと思います
電動車は、身延線には屋根を低くする必要がありましたから、あまり共通には使えなかったようです。
68412の前身68106は、京阪神緩行線のあと仙石線(仙リハ)を経て転入しました。
快速用として、ウグイス単色に塗られていた時期があったと思われます。
タブレットを交換しながら、松島海岸を走り抜けていたのでしょうね。
51200は、大糸線(長キマ)と行ったり来たりを繰り返しました。
時期的に、スカイブルー単色にはなっていないと思います。
首都圏の国電区間、たとえば山手線や京浜東北線で活躍した車輌も少なくないとは思うのですが、
ここでは確認できませんでした。
表の始まり、昭和32年といえば、もう車齢20年前後。
その昔をたどるのは、容易ではありません。
中途半端にしか、調べられませんでした。
運がいいのか、悪いのか。
ええと。
徐々にラインナップが充実してきたKATO製の飯田線旧型国電ですが、
モデルのプロトタイプとなった実車はどのような線区を走ってきたのだろうと思いまして、
例によって、調べてみました。
1957(昭和31)年以降の、およそ20~25年間の移動が判ります。
およそ、横須賀線(東チタ、東フナ)あるいは京阪神緩行線(大タツ、大アカ)からの転入がが多いと思っていたのですが…。

昭和32年当時、すでに飯田線用になっていた車輌も、少なからずいました。
クモハ61形やクハユニ56形は、四半世紀以上の長きにわたり、飯田線で走り続けています。
社型国電はともかく、ぶどう色単色で17m車と組んで走っていた時期があるはずです。
クハ47形では、お隣の身延線(静フシ、静ヌマ)との転出入があります。
同じ静岡鉄道管理局内の電化ローカル線ですから、車両需給の都合で移動があったものと思います
電動車は、身延線には屋根を低くする必要がありましたから、あまり共通には使えなかったようです。
68412の前身68106は、京阪神緩行線のあと仙石線(仙リハ)を経て転入しました。
快速用として、ウグイス単色に塗られていた時期があったと思われます。
タブレットを交換しながら、松島海岸を走り抜けていたのでしょうね。
51200は、大糸線(長キマ)と行ったり来たりを繰り返しました。
時期的に、スカイブルー単色にはなっていないと思います。
首都圏の国電区間、たとえば山手線や京浜東北線で活躍した車輌も少なくないとは思うのですが、
ここでは確認できませんでした。
表の始まり、昭和32年といえば、もう車齢20年前後。
その昔をたどるのは、容易ではありません。
中途半端にしか、調べられませんでした。